とあるジャニヲタの記録。

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Hey!Say!JUMPを振り返るPart1

※当記事は9周年の際に旧アカウントで綴ったことの再掲です。

(文章は今年仕様に修正済み。)

 

Hey!Say!JUMP 祝デビュー14周年✩.*˚

 

デビューしてからの14年を思い返すと本当に色々ありました。

 

ただの1ヲタクの覚書のようなものですが、14年間の印象強い出来事に焦点を当てて振り返ってみます。うろ覚えなところもあるので、多少の間違いはご勘弁を。

 

Part1.2007年 デビューに複雑な矛盾、暗黒時代

 

2007年9月24日 JOHNNYS'Jr. Hey!Say!7 in YOKOHAMA AREANAにてHey!Say!JUMP結成、デビュー報告(HEY!HEY!HEY!にて生中継)

 

Jr.時代から応援してきた私にとってこのデビューは手放しでは喜べないものでした。

 

デビュー有力候補3グループ解体、自然消滅。Jr.のトップを走っていたYa-Ya-yah(薮/八乙女)、その弟分であるJ.J.Express(伊野尾/高木/有岡/中島/森本)、期間限定でデビューしたHey!Say!7(高木/有岡/山田/中島/知念)の解体でした。

あの時の衝撃は今でも忘れることができません。 

正直デビュー嬉しいって気持ちよりも、じゃあ残されたメンバーは?っていう思いの方が強かったです。

担当中心に語ると、Ya-Ya-yahって当時のJr.としては異質の存在で、冠番組を持ち単独コンサートもこなすグループだったから解体なんて考えたこともなかったし、4人でデビューが当然のことだと心のどこかで思ってしまってたんです。

デビューの確約なんてどこにもなかったけど、私にとって4人という集合体が特別だったわけです。

しかもHey!Say!JUMPに集められた10人はキャリアも知名度もバラバラで、人数もジャニーズ史上最多。 大丈夫かなって本気で思ったし、解体によってぽっかり穴が開いてしまったような感じも拭えなくて複雑でした。

特に薮くんはJr.時代、自分より年上が身近にいて当たり前の環境にいたので、突然グループ最年長になってまとめる立場になるなんてと雑誌で話したこともありました。

 

2007年10月 爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ 放送開始

 

ここから口火を切ったようにジャニーズJr.出演番組が変化していきます。

平成ファミリーズの前番組はYOUたち!

ジャニーズに限って言うと、YOUたち!は元々Jr.が沢山出ていた番組でしたが、平成ファミリーズになった途端Jr.は歌のバックダンサーだけの出演となり出番激減。

JUMPからも山田/知念/森本固定となりました。

 

Hi! Hey! Say!放送開始 前番組はYa-Ya-yah

 

JUMPのデビューとほぼ同時に番組が終了し、後番組には薮/八乙女のみ残る形に。

始まって1,2ヶ月はただ呆然と見てました。ここからYa-Ya-yahの完全消滅までがまた早かった…

ザ・少年倶楽部からYa-Ya-yahJ.J.Expressの名が完全消滅。オリジナル楽曲封印。

10月放送分であったか定かではありませんが、 楽曲もグループ名の看板も使われなくなりました。これが完全なるグループ消滅を認識した瞬間です。 少クラでは暫く楽曲が使われることは無くまさに封印状態で、他番組やコンサートでJr.時代のグループ楽曲が再び歌われるようになるのも少しあとの話です。

 

2007年11月2日-12月2日 ワールドカップバレーボール2007 スペシャルサポーター就任

 

デビュー当時の年齢より試合が20時を越えるとHey!Say!7が出演できず、後半は兄組BESTの頑張りどころ。 応援グッズを手に祈るように試合を眺めていた薮/八乙女コンビは特に印象に残っています。

最終試合となった12月2日。試合は長丁場となり最後まで残ったのはリーダー格薮くん。試合後にグループを代表してコメントをする姿は最年長としての覚悟とか、JUMPで頑張る決意も裏に見えた気がして妙に感動したのを覚えています。 私の心の整理がつき始めたのもこのコメントでした。

 

2007年11月14日 デビュー曲 Ultra Music Powerリリース オリコンウィークリーランキング初登場1位獲得、推定36万枚

 

Hey!Say!JUMP デビュー&ファーストコンサート いきなり!in 東京ドーム開催

 

東京ドーム最年少記録を作りたいっていうのがあったのも分かるけど、正直あのコンサートはキツかった。

天気は雨、寒い中での開催。 バックにKis-My-Ft2やA.B.Cが付く先輩、後輩逆転でのコンサート。 客席はもちろん埋まらない。楽曲もデビュー曲 Ultra Music Powerとそのカップリング、Hey!Say! しかなかった為同じ曲が何度も流れるセットリスト。

今思うとよくやったよな…って話になってしまうけど、バックに付いてる先輩Jr.及びそのJr.担からの不満と事務所の期待とで10人板挟みだったはずなんです。でも腐ることなく努力を続けた結果、2009年再び東京ドームに帰ってくることが出来ました。

 

そんなこんなで、2007年は暗黒時代だったなって思ってます。デビューできたけど厳しい風当たりばっかりで。これがまだ数年続くんです。続きはまた。